夢の舞台だった。。。
言葉では言い表せない、‥‥‥‥凄い公演でした。
そして集まって来ていたお客さんの濃いこと。
克次さんの人徳の賜物と、圧倒されました。
克次さん、ありがとうございました。
そして、
公演に関わったすべての皆様に、お疲れさまでした。
感謝。
下の写真は、公演終了後に打ち上げ会場に向かう電車で移動中。
まず、この二人。。。
言わずと知れた、吉利さんとバナナおぢさんの珍しいツーショット。
どうしても笑ってしまうのは、なんでだろう?
そしてこちら、僕の右側は、天才?太鼓打ち山部泰嗣さん。
倉敷から来ている。
右側、後ろ姿の克次さんと、左に僕のスーツケースを運んでくれているのは、レナード衛藤さん。
ここから下は、打ち上げ会場での写真。
山本朱(あかし)さん、41歳。
僕が鬼太鼓座に入った時、一歳だった田耕(でん たがやす)さんの息子さんと嬉しい再会!
僕がオシメを替えたこともあったのに、こんなに大きくなっていた。
福岡から来ていた。
母君のおスマ(山本 珠眞子)さんと一緒に!
下の写真は1978年6月17日(撮影/山野實)で、アカシくんは二歳になっている。
一番左のおスマさん、現在は75歳と聞いて驚きました。
今のお姿も変わらず美しかったです。
ボストンでいつもお世話下さった加藤さん(現在は坂下さん)。
まさかの今は日本にいらっしゃる。
僕が初めてアメリカに行った時に、大変お世話になったので、
とても良く覚えている。
ボストンマラソンを走った翌日は、いつも大ご馳走して頂いたし、
それだけではありません‥‥‥、
何から何まで当時の鬼太鼓座を本当に応援して下さったお一人。
この方と会えて、お礼を言えた!
ボストンマラソンを走った翌日は、いつも大ご馳走して頂いたし、
それだけではありません‥‥‥、
何から何まで当時の鬼太鼓座を本当に応援して下さったお一人。
この方と会えて、お礼を言えた!
奥様が、ふじもとみ打公演に来て下さっていた事も知って驚く。
克次さんのネットワークの大きさ優しさには、ほんとうに驚くばかり。
他にもあの人も、この人も、えっ?この人も‥‥‥‥って次々と笑顔の花盛り。
写真も撮らずに、ただただご挨拶と、歓談で時は過ぎ、
打ち上げも終了!
もう解散したんだけれど‥‥‥
左から、新潟から太田厚生さん、レナード衛藤さん、佐渡からジョニ ウェルズ(ジョン)さん、藤本吉利さん。
会場となった、太田区民プラザ。
こちら楽屋でも大盛り上がり。
公演終了後、楽屋前にて左から、
レナード衛藤、藤本容子、富田
藤本吉利、小島千絵子‥‥‥、鼓童、元鼓童メンバーと。
※写真提供/高橋浩子
そして、この日の主役、近藤克次!さん。
克次さん、本当に凄かった。
本当に頑張っておられました、表でも裏でも。
前日のリハーサルから、公演当日朝の通しから、様々な問題を次々とクリアしていき、
もう慣れてないからとご自分では言いながら、
いやいや往年の輝きが蘇って来ました。
より深みを増して。。。
克次さんの年齢は私より一つ年下ですが、鬼太鼓座では一年半先に入座した先輩。
太鼓は当然ですが、当時、喋りが天下一品。
その話芸も、打ち上げ会場では、往年を彷彿とさせるものがありまして、
いよっ、克次!
と何度も声を掛けたくなる名調子でした。
克次さんの頑張りを見せられて、僕も励みになりました。
あそこまで大きな会にはとてもできませんが、僕らしい40周年の会に10月15日はしたいと念じた次第でございます。
でも僕の場合は、お気楽にいきたいと思いますが。
克次さん、吉利さん、と和明(僕)の三人屋台囃子は、鼓童創立トリオです。
鼓童が誕生してすぐに林英哲さんが独立して、
その後、鼓童というまだほとんどその名も知られていないこのグループの
舞台を引っ張ってくれたのが克次さんだ。
四年間先頭に立って引っ張り続けた克次さんが腰痛の為、その舞台を下りる。
この三人屋台囃子の最後となったのは、1985年9月15日。
場所は、ロンドンのクイーンエリザベスホール。
鼓童となって初めてのロンドン二週間連続公演が大入満員で大成功に終わる、
その千秋楽日は、なんと一日二回公演で、その日が9月15日。
克次さんは、どんな思いでその日を迎えたことだろう。
鼓童となって初めてのロンドン二週間連続公演が大入満員で大成功に終わる、
その千秋楽日は、なんと一日二回公演で、その日が9月15日。
克次さんは、どんな思いでその日を迎えたことだろう。
そして月日が過ぎ、
約32年振りに、一度だけ復活した日、それが2017年2月4日。
約32年振りに、一度だけ復活した日、それが2017年2月4日。
感謝。
富田和明太鼓芸能生活40周年記念 『浜から島へ~富田歓暦歩き打ち』2017