今年に入ってようやくコロナも落ち着いてきたので(不穏な空気はまだ燻っていますが)、5月からは毎月一度、深川不動堂に歩き参拝することにした。
昨日は碧く美しい秋の空の下、一年を通じてもそうないであろう穏やかな天の気配があった。
自宅から寺へ歩く、参道の最短コースでは皇居は通らないが、それではせっかくの宮城がもったいないので、宮城・日本橋を通るコースが僕のお気に入りだ。
ㅤ
いつも同じ道を何度歩いても、歩く度、太陽の輝き、空の色、風、空気、人々の表情、汗、笑顔、匂い、が異なり、神奈川から多摩川を越えて大江戸は広いが、この街を自分の足で歩く楽しみも果てしない。
約30km、今では7時間半ほどかかる。
20年前では6時間で歩いていたけれど、歳を重ねたせいか、今は休憩する時間が長くなったのか、これくらい掛かってしまう。
歩き始めも終わりも速度は時速5kmほどで変わらないので、やはり休みが多いのだろう。
地球という太鼓を二本の足で打ち続けることを「歩き打ち」と名付けたが、そこにもう一つ何と言えば良いか、大空という鼓を二本の腕で打つことも加わった。
トイレ休憩や食事休憩のたび、信号待ちのたび、般若心経を唱えながら空を打つ。
究極の変拍子である般若心経に身悶えしながら空に踊っているような気分になる。
他人からどう見られているのかは、まったく考えもしない。
街の人々は、見ても見なかったこととして、爽やかに通り過ぎる。みな自分のことで忙しい。
ㅤ
季節はきっとすぐ、寒い冬へと姿を替えてしまう。
短い秋は、この今にしか存在しない。
道、路、街を往く、風景も人々も、いつだって変化に富んで面白い。
生きていることの喜びを踏みしめて、歩き打つ参道だ。