2017年10月25日水曜日

写真家・青柳健二さんのこと

1989年2月3日(旧暦元旦の三日前)、中国貴州省の安順から貴陽に向かう乗り合いバスに乗っていた時、
途中の小さな村のバス停からカメラを持った日本人がそのバスに乗って来た。
 
春節休みの期間中、雲南省や貴州省には外国人が多いが、こんなところにいる日本人は珍しい。
省都である貴陽市に到着した時に声を掛けた。
それが青柳健二さんとの最初の出会いだった。
 
僕だって人民解放軍のコートを着たどう見ても外国人留学生だったが、僕は黄果樹の滝を見に行って戻るところで、
青柳さんは小さなその村の染め物を習いに行っての帰りだという。
なぜだかよく覚えていないが意気投合して、その日一緒にホテルに泊まってたくさん話しをした。
 
僕も日記を書いていたけれど、青柳さんの日記にはびっしりと文字が並んでいて(チラッとだけ見ました)、触発されました。
 
 
翌朝、青柳さんとは別れたのですが、その後もなんのお約束もしていないのに、何度も会うのです。
それも変なところで、変な場面で、それは三年も続いたでしょうか‥‥‥。
 
中国から帰って来てからは、僕が青柳さんを訪ねて会いに行き、
一緒にコンサートをしたり(青柳さんはコンピューター音楽もやっていて)、
僕の最初のHPを立ち上げてくれ、パソコンの先生でもあり、
青柳さんの結婚披露宴では僕が司会をしたり、
僕の主な自主公演と打一好祭の記録写真をずっと撮って頂いていて、本当に助けられています。
 
公演舞台は瞬間に終わってしまいますが、写真ではその瞬間がずっと生き続けています。
生で舞台にご覧になった方には、新たに想い出させ、見ていなかった方には想像させてくれます。
写真の力をとても強く感じられます。
 
青柳さんは今も次々と本を出版されていますが、感心するのはそのブログです。
青柳さんのブログは毎日欠かさずそれもかなりの内容と文量で書かれています。
僕は時々見て圧倒されています。
 
 
青柳さん、いつもありがとうございます。
http://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post.html
 
青柳さんのお陰で、何度も新鮮にあの時を想い起すことが出来ます。