『KODO 記写録 1981-89/撮影 TOMIDA Kazuaki』
第20巻(1985年10月11日〜1986年2月19日)KODO One Earth Tour 1985-86 は、
特別休暇後半イスタンブールからベネチア(ベニス)へ列車の旅。ミラノでメンバー全員が無事集合しツアー再開。イタリア、スイス、フランスツアー後の韓国ソウル公演がキャンセルとなり、少し早目に11月帰国。75日間の旅が終わる。
佐渡に帰って稽古の日々の後、スターダンサーズバレエ団との輝夜姫、12月新宿シアターアプル二週間、京都、大阪、名古屋公演を終えて、極め付けは大晦日の山下洋輔さんとのニュー・イヤーズ・イブ・コンサートで1986年の幕が開く。
一月は佐渡で過ごし、二月は沖縄、石垣、旧正月に沸く台湾ツアーに突入する
今月の一枚は、1508枚からの198枚
1985年10月11日
トルコ共和国 Istanbul イスタンブール
ヨーロッパ側のターミナル イスタンブール・シルケジ (Sirkeci) 駅

イスタンブールからパリに走るオリエント急行は、1977年に終わっていた
今回はドイツ・シュトゥットガルト行きのイスタンブール急行に乗って、ベオグラードで乗り換えてヴェネツィアに向かう



16:45発の筈だったが、その後何のアナウンスもなく、17:45に列車は静かに動き出す。
私の二等寝台BOXには、ハンガリーから来た夫婦とロンドンに留学中だというガーナの学生の四人。
夜中にブルガリアに入国と出国があって他にも何度も起こされる。
ブルガリアの入管税関は社会主義国の中でも特に高圧的、ユーゴスラビアに入ると落ち着いた。
ヨーロッパ(イタリア)に近づく度に空気が緩んでいく気がした。
※ユーゴスラビアは、その後の1990年代に7つの国に分断独立している
1985年10月12日
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 Beograd ベオグラード(現在は「セルビア共和国」)
ベネチア行き列車に乗り換えた

この列車も二等寝台、同じコンパートメントにエジプト人、アメリカ人、イタリア人、ユードスラビア人2、と日本人(私)、の6人なので、きつかった
夜が明けて
1985年10月13日
昨晩もパスポートチェックの為に何度も起こされた。優雅な旅とは言えない
寝台三段ベッドを座席に戻した後

1985年10月13日
イタリア Venezia ヴェネツィア
二泊三日列車の旅を終え、12時、ヴェネツィア・サンタ ルチア駅に着いた
来て見て驚いた。ここは水の都ベニスではないか!
「ベニスの商人」「ベニスに死す」
この地に着くまで、ヴェネツィアがベニス(英語名)のことだと気が付いていなかった
着いた途端、街に一目惚れしてしまう
ミラノ行き特急列車に乗る夕刻まで写真を撮りまくる
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| 大運河を挟んで、サンタ ルチア駅正面にある、サン シメオン ピッコロ教会 |





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カナル・グランデ(大運河) |
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ゴンドラ |
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| ゴンドラ |
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サン・マルコ大聖堂 |
1985年10月14日
イタリア Milano ミラノ
昨晩メンバー全員が無事集合し、今日は劇場下見だけの予定が、搬入まで済ませる
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| ツアー トラックドライバー |
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| 吉村憲司 |
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| 藤本𠮷利 |
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| 齊藤栄一 十河伸一 |
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| レナード衛藤 |
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| 鈴木雅裕 |
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大井良明
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| 小島千絵子 |
1985年10月15日〜20日
イタリア Milano ミラノ 6日連続公演
Milano Teatro Dell Arte


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| KODO公演ポスター |
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ミラノ・ドゥオーモ大聖堂 Duomo di Milano
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1985年10月21日
イタリア Milano ミラノ
ミラノ・セントラル駅 11:23発の予定だったが、すでに時刻は11:40
スイス Zürich チューリッヒ
チューリッヒ中央駅 16:00 到着
昨年も大変お世話になった、スイス主催者・マリア・ゼンダーさんのお出迎え


1985年10月25日
スイス Zürich チューリッヒ
Volkshaus Zürich(チューリッヒ市民会館)
チューリッヒ ジャズフェスティバル 山下洋輔vs鼓童公演
この公演は、SRG SSR スイス放送協会が録音放送した

山下洋輔さんはこの一回の公演の為に、日本から一人で飛んできた。
使い捨てカイロ、日本の新聞、文庫本二冊のおみやげ
会場は高校の体育館的雰囲気。ステージの袖幕は学園祭のデコレーションのようだった。
しかし、お客さんの質はいつもの公演のお客さんと全く違い、もっと音楽を聴く耳をもって集まってきているようだ。
狭いながらも超満杯。
ソロというのは、こういう演奏なのか、
山下さんは体全身からみなぎるエネルギー、リズム、湧き上がる
ジュゴンが、ピアノの前で暴れまくっている。
「集中します」
モノクローム乱入編のリハーサルをやっていた時、山下さんから聞いた言葉に、二度この言葉が出てきた。
本番
山下さんは、白い上下、赤いハンカチ。
目をとじる。いやとじるというより、目をくいしばる。
汗、汗、汗‥‥‥
頭と背中がぬれている。
ボレロ、
山下さんの演奏を聴いていると俺もドンドン、ドンドンやりたくなってしかたなくなる。
体のノリを教えてくれる。
山下洋輔、バンバンザイなのだ!
KODOも山下さんとお客さんのおかげで、
すごいノリ。
千里馬から、つっぱしる。
とにかく力でる。
終わって12時(開演は午後10時半頃だった)、片づけて1時、
主催者のマリア・ゼンダー(Maria Zehnder)さん、今日が誕生日。
外でHappy Birthday を皆でうたう
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と私の日記にはある。
忘れられない一夜だった筈だが、私が撮った写真は楽屋の数枚しかないのは、どういうことだ?
スイス放送協会の倉庫の何処かに、この日の録音テープが今も眠っているだろうか‥‥‥‥‥
Volkshaus Zürich(チューリッヒ市民会館)楽屋

1985年10月26日
スイス Zürich チューリッヒ
チューリッヒ中央駅 ジュネーブへ向かう朝
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| マーク・ロス Mark Ross さん |
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スイス連邦鉄道 ジュネーブ行き
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1985年10月27日
スイス Genève ジュネーブ
TGVでParis パリに向かう


1985年10月30日
フランス Paris パリ
フランスでは毎日、列車移動。この日は Rennes レンヌに向かう
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| Johnny Wales & 智恵子 |
1985年10月31日
フランス Bobigny ボビニー
Bobigny Maison de la Culture ボビニー文化会館
夜9時開演、11時前に終演、それからパッキング0時半まで
終わって劇場スタッフと乾杯

その後 1時、劇場近くの中華料理店に移動し、ツアー打ち上げ開始、ホテルには4時半に帰った長い一日
8月23日に佐渡を出たKODO One Earth Tour 1985 秋・最後の公演地
1985年11月2日
フランス Paris パリ
シャルル・ド・ゴール空港(CDG)
大韓航空(Korean Air)906便でソウルに飛ぶ
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| 山口幹文 |
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| 佐藤隆司 |
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| 菅野敦司 |
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| 風間正文 |
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| 藤本𠮷利 |
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| 小島千絵子 |
1985年11月4日
大韓民国 ソウル
当時の韓国ではまだ日本文化団体の公演は開催出来ず、日本映画も上映されない時代だったが、その壁の穴をこじ開けようと頑張った民間の団体が、ソウルでサムルノリと鼓童のジョイントコンサートを開こうと奮闘しあと一歩まで来ていたのだが、やはり直前で政府圧力があり穴は塞がれた(解禁されたのは1999年)
帰国の飛行機チケットをソウル経由にしていたので、公演はなくなったがソウルで一日過ごす
京畿道龍仁市 民族村に行く
農楽隊の稽古を見る


1985年11月7日
新潟県 佐渡郡真野町大小 鼓童稽古場
全体集合写真撮影

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| 藤本容子 |
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| 樋口隆繁 |
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| 林田博幸 |
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| 福宿修一 |
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| 林康子 |
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| 河内敏夫 平沼仁一 |
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| 大井キヨ子(寛子)良明 |
※ 撮影した全体集合写真は、このページ一番下
1985年11月20日
新潟県 佐渡郡真野町大小 鼓童
洗面所前 稽古場入口
新作『ケンバンチリ』に使用する巨大白布を、自ら製作中の千絵子

1985年11月21日
新潟県 佐渡郡真野町大小 鼓童稽古場
千絵子新創作『ケンバンチリ』稽古中
※KEMBANG TJILIK インドネシア語で「小さな花」




1985年11月24日
新潟県 佐渡郡真野町大小 鼓童
鼓童村建設の三本柱 食堂にて議論が白熱中
※この時点の鼓童村構想は現在ある鼓童村ではなく、羽茂町素浜近くに建設予定だった
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| TEM研究所 真島俊一さん |
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| 平沼仁一 |
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| ハンチョウ(河内敏夫) |


1985年11月30日
東京都 品川区西五反田 ゆうぽうと簡易保険大ホール
石井眞木作曲/バレエ『輝夜姫』公演 リハーサル中
スターダンサーズバレエ団、岡田知之合奏団、鼓童ほか



1985年12月2日
東京都 新宿区歌舞伎町 新宿シアターアプル公演/初日
84年は6日興行だったが、85年は13日興行(12回公演)になっても大入満員
お客様の目に触れることはないが、シアターアプル名物・魔の坂道搬入口
何mあったかな、地下まで降りるこんなに長く(※写真に写っていない)急な坂道搬入口を他に知らない
ここを人力で大太鼓をゴロゴロそろそろオラオラと下ろしてゆく
公演が終わればまた、この道を上げる
さながら祭りの一大儀式のようだった


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| 照明 SJS 熊田勝博さん |
公演初日朝9時から、黒田征太郎さんが反響板に絵を描いた

1985年12月14日
東京都 新宿区歌舞伎町 新宿シアターアプル公演
千穐楽 楽屋




全公演が終了し、打ち上げ会場で
笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸ではなく、眠り上戸の私
1985年12月16日
栃木県 佐野市
小嶋武雄邸(千絵子実家)にて焼肉パーティー
翌日が宇都宮市文化会館公演だった

1985年12月24日
和歌山県 和歌山市 和歌山近鉄百貨店前
鼓童京都大阪公演の後
渕田寛一の路上書きなぐり「天神崎を守るためのチャリティー」応援に駆けつける
私も路上に座って三味線を弾いた



12月4日に発売された拙著『万里の未知も一打から』の題字も渕田さんに書いて頂いた
1985年12月30日
東京都 品川区西五反田 ゆうぽうと簡易保険 リハーサル室
山下洋輔vs鼓童 ニューイヤーズ イブ コンサート リハーサル
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山下洋輔さん
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作編曲家・中島良史さん |
1985年12月31日 大晦日
山下洋輔vs鼓童 ニューイヤーズ イブ コンサート/公演本番日の朝
東京都 品川区西五反田 ゆうぽうとホテル窓からの、東京五反田を一望
夜9時開場、9時半開演、12時終演予定だったが、
舞台上で年越しカウントダウンの後、新年を迎えて終われるわけがなく益々ヒートアップして、舞台客席劇場中を駆け巡った
12時半すぎに公演は終わったが、そこからがまた長かった
残念ながら本番当日の写真は一枚も撮っておりませんでしたが、幸いにも
この日レコーディングされた音は、聞くことができます
1986年1月13日
新潟県 佐渡郡真野町大小 鼓童




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Johnny Wales & 智恵子 |



1986年1月21日
新潟県 佐渡郡真野町大小 鼓童稽古場
新人の為の剣舞(岩崎鬼剣舞)稽古始める 𠮷利、克次指導





1986年2月2日
新潟県 佐渡郡真野町大小 鼓童
沖縄台湾ツアーに向け、トラックが先に佐渡を出発


1986年2月12日
沖縄県 八重山郡竹富町
石垣島から船で15分、竹富島の歌、昔話などを取材に
お世話になった、竹富島 喜宝院蒐集館
竹富島 喜宝院蒐集館・館長/上勢頭芳徳(うえしぇど よしのり)さん
上勢頭さんから、島の教訓を聞き、その言葉の中から『打組(うつぐみ)』を知る
1986年2月15日
沖縄県 石垣島
石垣公演の翌朝 南西グランドホテル前で
石垣港
有村産業 Arimura Line フェリー乗り場
この船に乗って台湾に向かう
トラックを横付けして大量の舞台道具を船に乗せた
トラックはこの後、佐渡に帰る
パスポートチェックも船の中で
旧暦正月八日、まだまだ正月気分だ
荷物検査に二時間待ち、やっとバスに乗り込む
1986年2月16日
中華民国 臺北市
昨年もここで公演した、臺北中華体育館
正面門近くに、神鼓童公演の宣伝大垂れ幕が張られていた
搬入と舞台仕込み日
昨年11月、フランス・パリで別れた木箱コンテナと、ここで再会する
舞台組み立ても手伝う
舞台が完成
販売物売店準備中
客席場内案内のバイトさん達もぞくぞくと集合
警備員詰所
二年続けてこの客席が満席(二日で13,000人)となった
ほぼ無名の太鼓チームにこれだけの人が押し寄せたのは、プロモーターの力だろうか
1986年2月18日
中華民国 臺北市 公演二日目
午前中、市内に出てみれば、正月春節祝いの大頭頭、大頭面を被って街を練り歩く音楽隊と遭遇
夜、臺北中華体育館 今夜も満員御礼、熱狂の公演終了後
明かりの乏しい搬入口でトラックに太鼓類を積み込む
台湾国内は、このトラックのお世話になる
1986年2月19日
中華民国 臺北市 → 臺中市
ツアーバスに乗ってホテルから、臺中の中興堂 劇場に向かう
以上、
『KODO 記写録 1981-89/撮影 TOMIDA Kazuaki』第21巻へ続く
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KODO 記写録 とは
私の鼓童時代(1981-89年)に私が撮影したKODO Off Stage 記録写真・フィルムのデータ化作業を、2024年10月からさせてもらっています。
ネガ40本を一冊にまとめたファイルが26冊あって、フィルムコマ数・約37,000-8,000枚。
空き時間に作業をするので、1ヶ月に一冊分(約1,500枚)、完了まで約2年2ヶ月の予定で、この間は、昔の自分やメンバーや時代と向き合う時間です。
KODO members & trainees 1985 autumn