「八丈島で24時間太鼓を叩くというイベントがあって、それに行くんです」
そう話したのは、オーストラリアのメルボルンから来た綾子さん。
今年の春、僕の個人レッスンを受けに来てくれた時だった。
そんな事を八丈でしていることも知らなかったし、
またそれをメルボルンから仲間を誘ってわざわざ参加しに来ると聞いて、
僕も唸った。
海外からこんな熱心に通う人たちがいるのに、
日本に住む、彼らよりも簡単に参加出来るはずの僕が参加しないでいいのか………と。
僕が最後に八丈島を訪ねたのは、鼓童元年の翌年明けだったと思う。
三宅島に初めて行った年だから、もうあれから35年ほどたっている。
今、拙著『万里の未知も一打から』を引っ張り出してきて見たら、1982年1月の事だった。
この時、島でいろいろとお世話になったのが菊池隆さんで、
隆さんは、鬼太鼓座時代、僕が初めてアメリカツアーに参加した年、
鬼太鼓座メンバーとして一緒にアメリカツアーに参加した人だ。
ツアーの前に一ヶ月ほど?佐渡に来て一緒に生活をして一緒に行った。
その間、空き時間に隆さんから八丈太鼓の最初の手ほどきを受けた。
そんなにたくさん習ったわけではないけれど、基本だけは教わったと思う。
後は、見て学ぶ感じ。
アメリカツアー中に見た隆さんの八丈太鼓は素晴らしかった。
英哲さんが叩く大太鼓にも負けず、
あの小さい太鼓一台で、何千人もの観客を一瞬で釘付けにした。
圧巻だった。
しかし隆さんは、その年のアメリカツアーに参加しただけで
「自分にはこの生活はできません」と佐渡には戻らず、八丈に帰ったのだ。
その後、佐渡の國鬼太鼓座から鼓童になった時、
まずは八丈を学ぼうと、隆さんを訪ねることになる。
それが1982年1月。
八丈島でいろいろな方の太鼓を見せてもらったが、僕が一番印象に残っているのは、
ある畳敷きの集会場?のような場所で、とにかく沢山の人が飲んだり食べたりをしていて
そこの端に太鼓も一台あった。
「そんじゃ太鼓でも叩こうか」という感じで誰かが立ち上がり、
太鼓を打ち始めて、
そうすると替わり替わり人が続いた。
即興で歌もどんどんうたう。
僕には言葉の意味はよく判らなかったが、その歌で座が沸いた。
この雰囲気が良かった。
隆さんが叩く八丈太鼓はピリピリした緊張感がある激しいリズムだったが、
ここで聞いた太鼓は、飲み食いの合間に叩く、ゆったりしたのどかで牧歌的。
笑いに溢れていた。
あれから35年が過ぎた。
僕はその後、誰にも八丈を習ってはいない。
「一台の太鼓を二人で息を合わせて自由に打つ」
それしか自分の中に八丈のルールはない。
八丈好き仲間から聞くところに寄ると、島の太鼓打ちの前で好きに叩いてみると
「それは八丈太鼓ではない」
と必ず言われる。らしい。
皆が皆、そうではないだろうが、厳しい方、優しい方がおられるのだろう。
島のリズムとはなんだ?
今はユーチューブなどでもたくさんの八丈太鼓が見られるが、
やはりどう違うのか、または違わないのかは生で見てみないと分からない。
しかし僕はこれまで別に違っていたってそれで良いと思っていたし、気にもしていなかった。
それが、なぜか今、やっと八丈島に行く気になった。
35年もかかってしまったが……。
島が呼んでいるということだろう。
第七回『24時間チャレンジ八丈太鼓』
僕が主催する太鼓アイランド青葉『濱八丈』
次回稽古日は、11月19日(土)の予定
※写真は、濱八丈10月稽古にて