2024年10月24日木曜日

追悼、山野實(やまの みのる)さんのこと

 

1981年10月4日 東京世田谷・瀬田パークアベニューにて 撮影/富田和明





「よっ、元気か?」と言って、

会えばいつも右手を差し出し、握手から始まる山野さんは、不思議な人だった。


山野實さんとの出会いは、二十歳の僕が佐渡へ渡ったわずか一ヶ月後(1977年10月30日)のこと。
僕が初めてのフルマラソンを走った一週間後に、佐渡へいらっしゃった。
そして、
「和明、これからトレーニングだ。俺についてこい」と言われ、もう一度フルマラソンを走ることに。


走る前には色々と走り方とか道路のついてアドバイスを受け、この方はランナーのベテランで、実際にはどういう方なのか分からず、神妙に話を聴いていた僕だが、
いざ走ってみると僕よりも時間を掛けてゆっくりと42.195kmを走り切った山野さん。




1977年10月30日 佐渡大小・佐渡国鬼太鼓座玄関前にて



ずっと山野さんのことは、よく分からなかった。
分からないけれど、いつも近くにいた存在。

とにかく昔から、鬼太鼓座や鼓童を応援してくれていた方。
いつからなのか聞いたこともあった。
1974年2月のフトした出会いから‥‥‥




海外公演に出かける際、帰国した際、ほぼ必ずと言っていいほど、山野さんは成田や羽田まで見送り出迎えに来ていた。
日本国内公演では、近場から遠方まで全国至る所の劇場に突然現れる。
もちろん佐渡にもしょっちゅう来ている。

また海外公演中、僕たちメンバーの実家を訪ねては両親の写真を撮って、海外の公演先まで送ってくる。
いったいこの人は、どうやって生活しているのか?
とんでもない金持ちなのか?‥‥‥分からなかった。



僕が鼓童を離れてからも、僕が留学中に書いた中国留学生日記『北京ハオラ通信』を毎月日本の応援して下さる方たちに郵送したり、
僕の結婚披露を兼ねた出版記念パーティを開いてくれたり、僕の主催公演には必ず足を運んで下さっていた。

山野さんは僕だけにこんなに応援して頂いたのではなく、
鬼太鼓座や鼓童メンバー、しかも在籍年数の長短にかかわらず、まあその皆んなを応援してくれていたのではないか。
僕はその内の一人に過ぎない。



山野さんは写真を撮ることも好きだった。
僕の30周年記念には、僕が写った写真を中心に鬼太鼓座鼓童を振り返る山野さんの写真展を開催した。

『懐かしの佐渡國鬼太鼓座、鼓童時代的富田和明 SNAP×SNAP』
(2008.2.3 山野實写真館  厳選六十数点で30年を振り返る)





山野さんにどうしてこんなに応援してくれるのか、聞いたことがあった。
「僕はみんなが真剣に太鼓を叩いている姿を見るのが好きで、生き方そのものが好きで、応援したくなるんだ。皆んなの力に少しでもなりたいんだ」と。
応援と言うには、度を越していたように思えるが‥‥‥

今は「推し活」という言葉もあるが、山野さんは人生の後半を鬼太鼓座鼓童に捧げているように、そして楽んでいたのだと思う。


佐渡國鬼太鼓座、鼓童の初代応援団長であったことは、間違いない。





山野さん、沢山の応援と思い出を、ありがとうございました。



合掌








山野實(やまの みのる)さん、福島県三春町生まれ、10月4日没、享年91歳





1981年10月4日 東京世田谷・瀬田パークアベニューにて 撮影/富田和明


山野さんは自分が写真に撮られるのは苦手らしく、カメラを向けると恥ずかしいのか

「まいちゃうよなぁ」と言っていつも照れているようでした。

左後に写っている「おんでこ座の衣装行李(ごおり)」が懐かしい。

名前が鼓童になっても、この時はまだこの衣装入れを使っていた。











富田和明 TOMIDA Kazuaki
/打組 UCHIGUMI/太鼓アイランド TAIKO Island
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utigumi@tomida-net.com
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富田和明 太鼓チャンネル
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