今朝、自然と目が覚めた。時計を見ると、5時37分。
そのまま起きて、46分を待った。
黙祷。
合掌。
20年前の昨日は、千葉のハーフマラソン大会を走った。
僕が走った最後の大会だった。
そして20年前の今日、朝早く一本の電話が鳴った。
東京杉並区阿佐ヶ谷のアパート二階。
寝耳に水、とはこのこと。
電話は弟からだった。
「どないしたんや?」と僕。
「兄貴、びっくりしたらあかんで。
あんな、‥‥‥‥ 」
これが淡路阪神大震災を知った最初だった。
実家の母屋が傾き、倒れる手前で止まった。
母屋の二階で寝ていた両親は、階段を転げ落ちるようにおりて外に出て、無事だった。
向かいも隣も斜め前の家も崩壊していて、埋まった人を助けに出たと聞いている。
当時に自分が書いた文章を改めて読んだ。
1995年1月30日
あれから20年。
もう忘れて来ている。
忘れてはいけないと思う。
次は、自分の身にも起こることだろう。
その時、父母の姿に習いたいと思う。